就職・転職と恋愛の本質はどうやら完全に同じっぽい。と思う正月明けの午後。

転職
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ども。あけましておめでとうございます。

さて、年も明けて大分経ってしまったわけですけども。しっかり振り返っておこうかな。みなさんもやってみると良いですよ。日記をつけるってのはかなり良いことです。ネットでなくてもひっそりノートに書くのでもなんでもOKです。あとで読み返すと当時の自分が応援してくれますよ。

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法律問題で職場崩壊

で、いきなりですけど去年は地獄を見て。誰のために働くのか。何のために働くのか。それを考えて選ぶことができること自体、実は幸せなことなんだろう。具体的に書けないけれど労働問題で、本来天秤にかけるべきでない二者を秤にかけて、片方を切り捨てなければならない状況なんてものもあるんだと。

人生で初めて精神的限界を迎えて倒れ。ケータイが鳴るたびにビクつくほどの人間不信感と疑心暗鬼と、1年という短期間で退職したという職歴を得て。そんなこと関係なしに生きていかなきゃいけない訳ですけど。貯金潰しながら、バイトしながら次を探そうと思うけどどうしても人を、会社を信じることができない。

自分がやりたいこととか将来とか、もうそんなこと以前の大問題。離職期間が空けば色々面倒なことくらいわかります。面接官だってやってましたから。けど無理。心が追いつかない。

だから電通社員自殺の事件は本当に胸が痛かった。とても他人事に思えなかった。彼女はきっと追い詰められて思考が何巡したかわかんなくなって、思考が停止して、死ぬしか選択肢が残されていなかったんだろう。

「ブラック企業に入ればメンタルが鍛えられるとか肯定する類の人のうんぬん」

それは実情を知らない人の言葉で僕は本当に大切な人には絶対に入るな。って言います。正直悔しかったです、色々。力がなかったことが。守ることができなかったことが。

だからその制度を作ることや法律を学ぶこと、働く社員が過ごしやすい労働環境を縁の下の力持ちとして支えることを仕事にすることを考えた。2017年現在、いくら求人市場が売手市場とはいえ、20代後半での人事総務の未経験採用は奇跡だと思う。そもそもそんな求人、東京とか大阪のぞいて、地方にはほぼありません。けど内定までたどり着いた。それがイマイチ腑に落ちない。なんでかなって考えた。

職場でも、取引先でも、恋愛でも、友人でも、何だっていいんですけど何かを信じるかどうか決める時、僕らは一体何を基準にしているんだろうって思うんです。理屈やデータ、それまでの過去、過ごしてきた時間、感情、諸々あると思うが最後は直感かなと思う。で、いさ信じた結果、裏切られた。それを経験する度に思う。「どこで間違ったかな」と。自分を裏切ったように思える相手にもきっと正当な理由があったんだろう。人は弱い。僕はなおさら。豆腐メンタル。豆腐というかもう豆乳。

だから、自分を正当化することを無意識に行う。多少の罪悪感があったとしても「仕方がなかった」と割り切っていかないと正直やってらんない。そんな場面腐る程ある。問題はその後。同じような場面で人をまた信じられるか。日常生活でもビジネスでも何においても信頼は不可欠要素。

「その信頼を何を基準に決めるか」という時に

  1. その人自身
  2. カネ
  3. 法律・制度・ルール

あなただったらどれを信じますか?

お金と人の気持ちではどちらが重いのか

…。

……。

………。

…………。

……………。

考えました?正直、ノーガードで突っ込むのは厳しい。いろんな人がいるし、状況次第で人は変わるから理論武装と準備は必須。そうしないと騙される。損をする。辛い思いをする。信じるためには疑うことを徹底する必要がある。世知辛い世の中だ。

今までの自分なら煩わしいとしか考えなかった規律やルールの本当の意味での重要性や、日本では特に汚い印象を与えがちなお金の本質も考えるようになった。高い確率で信頼に値するものはお金だと思う。信頼の数値化=お金だからです。

「珈琲が飲みたい」「100円です」「はい」完結。素晴らしい。

人の感情ほど不安定要素の多いものはない反面、お金にその要素はない。「金は命より重い…!」という利根川大先生の言葉を心から崇拝することはないけど共感はする。安心して任せられる。

そしてルールや制度の本当の目的を考えたことってありますか?何だと思います?規律を作ること?組織をまとめること?その組織とは誰?法人とは誰?そもそもの存在意義を問う所まで繋がる。誰のための何なのか。道徳や良心だけでは決してうまくいかない世の中でそれは正論を振りかざして争うための武器なのか、守ることで関わる人間全てが幸せになるためのものなのか、最後まで中立を貫くためのものなのか。

こんな姿勢を持って新しく出会う人と話す時に今まで以上に観察するようになったと同時に疑いすぎることで人として大切なものが欠けてしまうことも感じた。それは駄目、というか嫌。じゃあどうする?結構考えた。

結果を見据えて動くのではなく結果に至るまでの過程、行動を全てにしてみようと。逆算と予測はもちろん行うが、積み重ねの比重を強める。未来は委ねるけど取りに行く。後からわかるから「結果」なのだなと。今日は言ってることがあまりにも抽象的なのでわかりやすいのでいきましょう。

転職が恋愛に似ている理由

2回目の浮気で受けるダメージ

例えば浮気されてフラれたとしましょう。鮮明にイメージしてくださいね?色々楽しかった。ずっと続くと思っていた。それが突然崩れ落ちる。ガラガラガラガラがっしゃーん。ばーん。

転がり落ちたドン底でふと見上げた空は透き通るように青くて綺麗で。テレビのニュースも街のざわめきもいつも通り。そう、いつも通りだ。何が違う?隣にあの子がいないことだけ。あの子は今頃、浮気相手とイチャイチャ楽しくしているかも…

そんなことを考えて悔しかったり、どうしようもなく悲しくなったり。そんな中、君はきっとこう言うよ。もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対。

そして、時が過ぎた。また別にパートナーができた。よし、次こそは大丈夫。この人を信じようとそこでまーた浮気されたと。尋常じゃないデジャブですよ。ガラガラガラガラがっしゃーん。ばーん。ばばばーん。

「あ、この景色見たことあるくね?」そう、君のその直感はきっと正しい。ただその時に。ひとつだけ違うことがある。何だろう。この心の余裕は。何故?あぁ、わかった。あの子にもらったからだ。1回目に自分がもらったものを次の相手にどう渡す?その選択の余地は自分にある。

ここで超オトナ対応。相手が悪かったとしても、その結果を素直に受け入れて、否定せず「今までありがとう、楽しかったよ」そんな綺麗なままで終わると少し景色が違うんです。少なくとも気持ち的にプラスなんですよね。

相手がもし、多少なりとも罪悪感を感じていたならば。同じようなことを感じる場面に出くわしたなら。きっと思い出す。そこでどんな選択をするかはわからないけどきっと思い出す。それはね、相手に良い影響を与えられているんじゃないかって思うんです。もし、本当に根っから腐ってるような人だったならね、関係が終わって良かったと。終始すべきは自分の人を観る目を鍛えることだと。

人は個人個人で全然バラバラに見えるけど実はその意識の大元が繋がっているみたいで、個人間で持っているものが違うけれど、それを受け渡しする時に何を繋ぐかはその人が決めることができる。それは本当に微々たる量だけど、繋いだものによって相手の未来をほんのすこしだけ変えるみたいなんです。

川に投げた小石が波になり、その波紋が大きくなって岸まで届く時のあの感じがすごくイメージとして近い。別に影響は無いに等しいかもしれないけどそれは外から見ているから。その中にいる者には影響があるんです。上の浮気の例でいけばですね、裏切られて、その相手が自分のことなんて考えてるはずないんですね。普通に。

綺麗事言ってんじゃねーよ。って話ですね。正直あまりにも単純で馬鹿なプラス思考ってだけです。けどそもそも嘘をつく動物がね、

「本当は何を考えているのか」

を知ることってほぼ無理です。信頼が欠けてしまっている状態なら尚更でしょう。ということならですよ、自分の中で良いままで完結しようとも悪いままで完結しようと結果をどう捉えるかということに尽きるのではないかなーと。

馬鹿だとしても正直に信じることが何故大切か。

転職でも恋愛でも最後は信じる気持ちがモノを言う。相手ありきのものに人生を突っ込む。大変ですよねー。そりゃ思い通りの結果になんてなるはずない。大事な部分、相手に委ねているんですから。

そしてどの程度のバランスが理想なのか。50:50で良いなら誰も苦労しません。自分の中の軸と、譲ることのできる部分と、現在と将来と。他に良い人(会社)いるんじゃない?それともいまここが理想?何が正解?どうなれば正解?ゴールはどこ?縁とは何?失敗することも多い。失敗だらけっすわ。でもそれは決して無駄じゃない。現に今、無駄だと思っていないから。だから大切なのは

心構え。

って言いたいだけです。今日は本当それだけ。オチ無し。それだけのためにあなたの貴重なお時間いただいてホントすんません。

転職活動後の日記

年末年始は正月そっちのけで期限ギリギリまで考えて。内定後2回下見にもいって。街を見て、肌で感じて、ここに住んだらどうなるかな。5年後、10年後、どんな未来が待ってるかな。どんな人に会うかな。楽しいかな。

他の選択肢を全てナシにして、もうここで決めて大丈夫かな…とかそんなことを考えて考えて考えて考えて考えて考えて内定を断った。それで良かったのかなー。あー後悔するかもなー。2年前に転職活動をした時に、今回と同じように内定を断った会社に行ってたら今の僕はどうなっていたのかなー。

転職とか、何かの転機の度にすごく思うんですけど選んだ後に、選ばれなかった方が確実に存在するじゃないですか。未来って何でひとつしか見れないんですか?ねぇねぇ?なんで?誰かタイムマシン作ってよ。以前書いた記事が超ブーメランで返ってくる訳です。これですね。

転職にあたって少し考えてみた「将来の夢」という考え方は変化が速いと言われる現在どう捉えるのが望ましいかを少し考えた。

色々大事にすべきことはわかってたつもりだけどつもりだったりするんです。

仕事を生き方だと捉え、毎日嫌々で仕事をするのではなくワクワクしながら過ごす人が増えることを願います!

とか書いてるけどね、死にかけたわ。けどおかげで相当たくましい。多少のことなら余裕。ならよし!日記をつけておくと、こういうことができるんです。

けど今回思いました。未来って見えないから楽しいんですね。正直10年後が何となくイメージできてしまった時のこれじゃない感は凄まじいんです。だから超自己満足でしかなかったとしても、選ばれなかった未来をできるだけ鮮明にイメージして「ありがとう」と「ごめんなさい」を持ち続けようと思います。

そして、逆に自分が選ばれなかったとしても、それを受け入れること、許すことが本当に大切なことだろうと肝に銘じときます。自分の望んだ職種だった内定を断って全く別の可能性にかけようとしてる辺り、本質は今のところ変わってないみたいです。

これが今の、等身大。また経験を積んで別人になった時にどう思うか、楽しみにしておくよ。あ、ちなみにさっきの問いについて投げっぱなしはダメですね。「その信頼を何を基準に決めるか」という時に

  1. その人自身
  2. カネ
  3. 法律・制度・ルール

あなただったらどれを信じますか?でしたね。はい、僕は1.2.3.全てを考慮した上で

4.自分

を信じます。セコイですね。でもやっぱり悩んだり困ったりするから、その時はまたすこしだけ力を貸してください。理屈抜きに信頼できる人たちの存在を本当にありがたく感じています。今年もどうぞ、よろしくお願いします。

コメント

  1. […] 転職と恋愛についての昔の記事にも似たようなこと書いたんですが会ったことのない人間だとして初めて会った人のことを信用するかどうか、って考えるとわかりやすいです。 知らない […]

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