1年近く放置してもアクセス数が増え続けるものとは有難い話だ。が。今日はただの日記。
PSYCHO-PASSをちょっと見直した
少し思う所があってアニメのPSYCHO-PASSを久しぶりに見直した。タイトルともなっているこのPSYCHO-PASSの意味はウィキペディアから引用すると
サイコパス(PSYCHO-PASS)
本作のタイトルにもなっている、人間の精神状態を科学的に分析して数値化したデータ。反社会人格障害を指すサイコパスのことではなく、本作独自の造語で「精神の証明書」を意味する。作中の社会では、市民はサイコパスを計測したうえで日々の生活を送っており、データは公的に記録・管理されている。精神を理想的な状態に保つためのメンタルケアが普及しており、各自の適性や嗜好・能力に合わせた情報が事前に明示されるため、運や選択ミスに左右されない最適で幸福な人生を送れる社会が実現したとされている
とある。ただ、話中に出てくる重要人物の殺人方法や人格からして精神病質、社会病質を指すサイコパス/ソシオパスにも焦点を当てている。
「法律で裁けない存在をどう裁くか」という点と、目には見えない測りようのない「心」というものが数値化可能になった際の
「人間とは何か」を考えさせるストーリーは改めて深いものだなぁと改めて思う。
槙島聖護の言葉
PSYCHO-PASSの話の中に槙島聖護という人物が出てくる。
シビュラシステムという完璧なシステムの元に運営される国家では生まれた瞬間から個人の性格や適性などはすべてデータで管理され、職業はもちろん食事管理や小さな選択ですらすべてシステム任せ。
もし良からぬことを考えたり、ストレスが溜まりすぎたりすると、犯罪者になる可能性を示す「犯罪係数」という指数が高くなり犯罪を犯していなくても逮捕されちゃったり、「事前に犯罪を防いだ」という理由で処刑されちゃったりする。
そんな背景もあった上でではあるが悩んだり、考えたり、自分で判断することのなくなった人々が一切争うことなくストレスフリーに、穏やかに平和に暮らす世界で彼は「人としてどうだいそれ?」という内容のことをばっさばっさとやる。
人に殺人のための道具を提供したり、テロを起こしたり。けど彼にははっきりと意思がある。
『サイマティックスキャンで読み取った生体場を解析し、人の心の在り方を解き明かす……
科学の叡智はついに魂の秘密を暴くに至り、この社会は激変した。だがその判定には人の意志が介在しない。
君たちは一体、何を基準に善と悪を選り分けているんだろうね?』
『僕はね、人は自らの意思に基づいて行動した時のみ、価値を持つと思っている。だから様々な人間に秘めたる意思を問いただし、その行いを観察してきた。
僕は人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい。だが己の意思を問うこともせず、ただシビュラの神託のままに生きる人間たちに、はたして価値はあるんだろうか?』
むむむ。。
サイコパスは経営者向き
「良心の欠如した人間」をサイコパス(精神病質、反社会性パーソナリティ障害)と呼ぶ。
どうやら心や道徳心、倫理観などを誰もが当たり前に持っているわけではないらしい。
相手に勝つこと、支配すること、己の自尊心を満たすためであれば嘘を重ね、相手を騙し、身近な人間すら貶めることだってできる、今の社会では最強と言ってもいいくらいの人格。
というのも
人情や人間関係、相手の気持ちなんて一切考えることなく淡々と人を傷つけたり、うまく騙して追いやることができる。
自分が成功するために他人を蹴落とし、その家族が路頭に迷っても、闇金ウシジマくんに出てくる人々のような末路を辿っても気にすることすらない。だって満足する結果を得られたんだから。
感情を抜きにした、超合理的な決断を、自らの心を傷めることなく下すことができる能力。
「人としてどうだいそれ?」と多くの人に問われたとしても、
それはこのご時世では、求められている資質であったりするんじゃない?その能力が最も発揮される場所。例えば。企業とかさ。
こんな言い方をすれば反感とも呼べるような感情を無意識に抱く。それがたぶん良心。
良心とは何か
アメリカの臨床心理士が書いた本がある。
サイコパスについての本だが、「良心とは何か」という点を発端として例も挙げつつ心理を説いており興味深い。
読みづらいという意見も見られるがそれは、元々の文章の意図を壊さないため敢えて、ということもあるのではないかと思う。
精神の分野について理解を深めるに当たってはお勧めだと読んでみて思った。
喜怒哀楽や好き嫌い、愛情や思いやりなど、感情は本能に根ざしているため、それ以上理屈で分解しようがないと思う。
「私〇〇が好きなんです」という事柄に対して、確かに好きな理由はあるかもしれないが、
「なぜ?」としつこく問われたとしても答えようがないのではないかと。
「好きなものは好きなの!」くらいに。
だから仮に良心のない人間がいたとしても良心の有無は、もっと言えば深層心理は、
究極の所は本人以外に知るすべはなく他者が完璧に同じものを共有することはできない。(例外はあるかもしれないが)
ならば人は何を持って相手を信頼するのだろう。外見か、言葉か、肩書きか、空気感か、一緒に過ごした時間か。
昔少しだけお世話になった、意味のわからない言葉を言う人がいた。
今でも尊敬している。そしてこんな感じの言葉をよく口にしていた。
「世の中を変えることに興味はない。自分が守るのは自分を信じてくれる人だけ」
力や財力がある分、なろうと思えば政治家にすらなれるほどだった。
それだけのものを持っているのに何故やらないんだと、当時は疑問だったが
今は自分なりの解釈で少しだけ理解できるようになったと思っている。感謝している。
理性や思考は合理的に選択性や可能性を上げていくが究極に困った時は直感がいちばん事実に近い。たぶん。
精神の分野は軽視されがちで理解もまだ薄い。
PTSDや発達障害(ADHDやADD)、鬱などについてはきちんとした理解が広まれば良いと思う。
目に見えないだけで間違いなく存在している。知識の有無は「お互いが」気持ち良く過ごせるかに雲泥の差をつける。
表面上ニコニコしていても内に秘めているものまで理解できることは少ない。
誰にだって当てはまる。見えないものに焦点を当てていくからこそ
人を惹きつける。「この人は理解してくれる!わかってくれる!信頼できる!」
誰だって孤独だ、とは昔の人はすごいことを言ったもんだ。身に起こる出来事は必要なことだと感情抜きで認識し、憎むのではなく許すこと、受け入れることがたぶん次へのステップなんだろうと思う。
そうじゃないと色相が濁っちゃうからさ。
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