Cowra(カウラ)に旅をした時の話

日記
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今日はオーストラリアの中で印象に残っている場所に旅をした時の話をします。

Cowra(カウラ)という場所をご存知ですか?
オーストラリアの割と内陸の方にある田舎町です。地図で見るとカウラgooglemap
この辺り。地図全体で見るとシドニーからそう遠くないように見えますが…電車とバスと乗り継いでほぼ丸1日くらいかかりました。

何故ここに行こうと思ったか、ですがここはオーストラリアの中でも日本とかなり深い関係がある場所。

ここには第二次世界大戦中に捕虜収容所がありイタリア、韓国兵などに加えて日本兵捕虜もたくさんおり、その彼らが全員で脱走する事件が起き、多数の死者が出た。そんな事件があった場所だそう。

カウラ事件-Wikipedia

カウラについて (詳細について知りたい方はこちらがオススメ)

現在、カウラには平和と友好の記念としてかなり大きな日本庭園があります。

そんな場所が遠く離れた異国の地にあるなんて知る由もなく。せっかくオーストラリアにいるんだし、メジャー所ばかり行くのも飽きていたので…。思い切って一人で、それもかなり長旅してやろうと

そんな感じでした。

田舎の方に行くには車かバスか電車か…しか移動手段がありませんので行き方を調べて…チケットを予約して…2週間、どこに泊まるか、もし何もなければ最悪野宿か…色々と計画を立ててました。

というのもオーストラリアの田舎は日本の田舎とは比較にならないレベルで何もない。

cowra

cowra2

店があるとかないとか、そういう次元じゃねぇ。
最後の民家の写真もバスで30分走って1軒、また30分走って次の1軒…そのくらい間隔が開いてました。

(色々書くとキリがないので省略)日本庭園のこととキャンプ跡地のことをまとめておきます。

まず街にInformation Centerがあります。そこに行けばTシャツなどのお土産だったり、上で紹介したサイトにあるホログラムの映像が見れます。

cowra Information Center

↑白い建物がそれです(わかりづらくてすみません…)

hologram
(女の子だけがホログラムで、他は実体があるんですけどその中をこの子が歩き回りながら色々説明をしてくれました)また入り口に来場した人の名前を書くノートがあるのですが日本人の方の名前もけっこう沢山書いてあります。

で、ここで地図とパンフレットをもらって、日本庭園に行きました。

cowra Japanese Garden Entrance
(いりぐちです)

cowra Japanese Garden

上の方まで登って全体を見てみるとかなり遠くまで見えます。

cowra Japanese Garden Top

人はまばらですが何人かいました、日本人には会えませんでしたが…もしこんな所で会えたらそれは何か感動もあっただろうな。思うこととしてはこんな遠く離れた土地にこういう場所があって、そこに日本人の自分がいて。なんとも不思議な感じがするものです。

cowra Chinese letter

そして捕虜キャンプ跡地。ここは今思い返してもかなり印象に残っています。

綺麗に舗装されているわけではなく、そのまま何年もほったらかしになっているような野ざらしの廃墟のような。道をずっと歩いているとこういう写真のような門や記念碑が所々に建っている感じ。地元の人のジョギングコースにもなっているのか、数人とすれ違った。

kangaroo

(歩いてたら野生のやつに遭遇します笑)

日本の高校との交流もあるようで個人の名前が根元に彫られた記念樹みたいなものもたくさん植えてありました。

ここ、写真じゃわかりづらいですが広すぎ。地平線が見えるほどに延々とこの景色。下の写真は庭園の上から見た景色ですが

脱走しようなんてとてもじゃないけど思えない広さ。仮に収容所を無事に出られたとして、後ろから追いかけられて撃たれるだろうとは容易に想像がつく。圧倒的なその広さを目の当たりにすると脱走の背景、当時の日本の軍国主義のようなものが感じられたように思います。

捕虜の扱いが格別酷かった訳でもなくイタリア兵は陽気に毎日踊ったり仕事してたりという一方で日本兵は何考えているかわからなかったと資料を読みました。

捕虜=死ぬより辱めだ、という考えがあり、それには誰も逆らうことはできない空気感。だから脱走を上層部が決定した時に多くの人間が「いや無理でしょ…」と思ったとしても言えなかったのでしょうね。

「楽しい海外生活!」というだけではなくこういう部分をしっかり見てくるのも大切なことのひとつかと思います。歴史を知ることで見え方が変わるものも沢山ありますし。

そしてもうひとつ驚いたことがありました。街の人が親切でした。横断歩道を渡ろうと待っているとわざわざ車が止まってくれて先に渡らせてくれたり、駅までの道がわからなくて聞いたら連れて行ってくれたり所々に日本語で案内や看板などもあって。珍しいであろう東洋人をみんな助けてくれるんです。

都市部だったりすると人種差別はなんだかんだ残っていてたまに恐い思いすることもあったんですけどここにはそれが一切なかった。良い街だったな、また行きたいなと今でも思います。

オーストラリアに行く、もしくは居るのであれば主要どころを巡っていくのも楽しいですけど是非行ってほしい、オススメの場所でした。

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